Toshihiro Saito Toshihiro Saito

木の地産地消、ある物を有難く使い切る生き方、暮らし方

僕の仕事のパートナーのMr.ムラカワさんは重機で山に入り、木を搬出したり山を移動する作業道を作るプロだ。そのムラカワさんといつも話す事と言えば植林された杉、ヒノキの活用方法だ。

多くの杉、ひのき山は放置され荒れ果てて土砂崩れの原因となっている。言わば人工的に作られた山なので植生は乏しく土壌は枯れて水源は保たれるどころか年々減少している。日本では戦後の木材需要で大量の材木が必要だったこともあり、原生林や奥山に至るまでが手を入れられ、植林された歴史がある。

しかし現代において材木の需要は変わっている様だ。海外から材を買う方が安上がりだったのだろう。インドネシア、台湾、ロシア等からの輸入材で、せっかく先人が植えた材より安い材を使う事が多くなり国産材の価格は大幅に下がった。それと同じくして林業も衰退し荒れてそのままの杉、ヒノキ山が出来上がり、地形は水害や土砂崩れが起こっている。なので山の値段は底値になり、開発という名のもとにメガソーラー、風力発電、そして大切な水源までもが外資企業に売り渡されている。鹿や熊の問題は、一体どこが原因なんだろうか、その本質を解決しなくては、この美しい島国の未来は絶望しかないのではないだろうか。

僕たちは山に関わる人種として、この誰も手を付けない杉、ヒノキを活用する事が重要だと思った。誰も使わない荒れた山の木を自分たちで製材し、価値を作り、荒れた山は自然に還していく。

そんな自分たちの山への“在り方”が文化となり、新たな伝統になり、それが誇りに繋がるのではないだろうか。このプロジェクトにはどんどん仲間が増え、強力な製材機の出現もあり先が楽しみだ。

僕は、自分で伐った杉やヒノキをウッドデッキにしたり、Aフレームハウスを作るべくコツコツとチェーンソー製材に励んでいる最中だ。みんなが見向きもしなかった荒れた山が明るい豊かな森林に戻り、自分たちで伐採し製品を自分たちで作る。そんな当たり前のことが当たり前になることを夢見ている。

時代は追い風が吹いていると思う。イラン戦争で燃料価格は上がり、円も暴落している。以前のように、円の力で他国の資源を買いあさることも昔みたいにできない。日本の立場は逆転し始めている。経済的にはピンチかもしれないが、本当の価値、生き方のようなものに気付くチャンスなのかもしれない。

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足元に光る太古の原石

自分が住んでいる地域に恐竜が闊歩していた事実を想像できますか?

僕の住む天草には9500万年前の断層があって、実際に恐竜の化石やアンモナイト、植物や木の化石が沢山出てくる。その時の植生にとても興味があるんだけど、針葉樹の化石を見ると今とあまり変わりがないみたいで、火山が噴火して燃えた木の化石も出るんだけど、今僕たちが森で見る木と特別変わりがない。

地球の歴史で人類が活躍し始めたのはまだ数百年前(諸説あり)だけど、お墓や貝塚を見る限り今とそんなに食べ物にも変わりがない。

そんなに変わらないのに。ではなぜ、当時いた生き物や植物たちは姿を消していったんだろう。

答えは分からない。研究者たちは気候と人間の活動勢力が大きくなったのが原因と言う。

数千年まえから既にある地域では文明の発展とともに環境破壊があったらしいし、航海技術とともに、閉ざされた島や大陸では500年前以上前から動物たちの絶滅は起こった、そして極めつけは産業革命だ。便利さや文明の発展と入れ替えに何かがいなくなるのが常なんだ。じゃあ太古の記憶を残す生き物はもういないのかと言うと、あるんだ。かろうじてあるんだ。

例えるならば、シーラカンス、カブトガニ、オウムガイ。彼らは何億年も姿をほとんど変えていない、樹木だとイチョウ、メタセコイアがそうだ。

他にもたくさんある、足元に転がっている石をよく見たらその石は火山活動やプランクトンの体積でできた岩石だ。もしかしたら恐竜時代よりも古いかもしれない。

少し視点を変えてじっと観察すれば驚くことが沢山ある。沢山の生物や植物が姿を消してきたのに彼らは何故生き残っているんだろう。僕がどんぐり拾いに今でも夢中なのは姿や形を変えて今も生き残っている樹木に、なにか太古へのあこがれを抱いているのかもしれない。そして希少な木々や生き物が姿を消したら、純粋にとてもさみしい感情を抱く。それは人を癒す妖精を一つ、また一つと失っていくことだと思うから。

THE ARK OF TREES は、そんな思いで出航したんだ。

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僕が思う自然とは。

自然回帰、自然学校、自然栽培。

世の中には「自然」という言葉があふれている。でも、自然とは一体何なのだろう。

そんなことを時々考えるので、今日は思考の整理も兼ねて書いてみたい。

僕は九州の農村で生まれた。

子供の頃はドングリを拾うのが好きだった。森の腐葉土のベッドに飛び込み夢中になってポケットいっぱいに詰め込んで持ち帰り、大切に集めていた記憶がある。

その後、静岡の小さな漁村で育った。

家の裏には森があり、山へ向かって歩けば森は少しずつ深くなり、やがて奥山へと続いていく。そしてその先は富士の樹海に繋がっていた。

子供の頃の僕には、深い森という存在は怖かったのかもしれない。

大人になった今、僕は木に登る仕事をしている。

自然とは何かを考えるようになったのも、もしかしたらあの頃から続く好奇心の延長線上にあるのかも。

自然の定義は、立っている場所によって大きく変わる。

たとえばニューヨークや東京の中心部で暮らす人にとっては、公園や街路樹も十分に自然だろう。

一方で、青森のマタギやアフリカのマサイ族にとって自然はもっと大きな存在だ。生活の糧を与え、ときには命を奪う、畏敬すべき領域としてそこにある。

僕は自然には階層があるように感じている。

人が整備した公園や里山も自然だ。しかし、その先には人の管理を離れた森があり、さらにその奥には人が容易に踏み込めない領域がある。

深海、高山、極地。

そこは生き物たちでさえ生存の限界に挑む世界であり、多くの探検家や冒険家が魅了されてきたフィールドでもある。

では、僕が思う自然とは何だろう。

それは、人間の影響が限りなく小さい場所だ。と言うよりも、人間を拒否する場所。

人が住み、耕し、管理する環境ももちろん大切だ。しかし僕は、そのさらに奥にある「人間がいなくても成立している世界」に強く惹かれる。

そんなことを考えていると、僕の住む天草のことを思い出す。

天草には御所浦という島があり、約9500万年前の恐竜の化石が数多く見つかっている。

その頃、この地球に人間はいなかった。

森も海も、そこに生きる生物たちも、今とはまったく違う姿をしていたはずだ。

考えてみれば、人類の歴史はせいぜい数十万年。

46億年という地球の歴史から見れば、ほんの一瞬に過ぎない。

僕たちが「自然」と呼んでいるものも、どれだけ表層の世界なんだろう。

だからこそ気になるんだ。

人類が現れる以前から続いてきた自然の痕跡は、今の地球にどれだけ残っているのだろう。

そして、自分たちの暮らす場所の近くに、その証を見ることはできるのだろうか。

次の記事では、そんな「野生の記憶」を今も匂わせる場所について、一緒に探してみたいと思う。

人類未踏の地へ行くだけが冒険ではない。

知りたいことを納得いくまで純粋に追い続けること。好奇心という情熱を燃料に身体で感じ、考え、気付きを得る事。

その積み重ねは、距離や時代を超えて未知へ近づく旅だ。

僕はそれも時空を超える大きな冒険だと思う。


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始まりは一本の木との出会い

それはCOVID-19が流行してしばらく経った頃のことだった。

ある夜、友人のカナダ人夫婦、リックとリアンと一緒に、天草の官山へナイトトレッキングに出かけた。

二人はプロのパラグライダーパイロットだ。

僕は空から山や川や海を眺める彼らの、まるで空高く舞うトンビが地上からは見えない地形の話をしてくれるのがとても好きなんだ。

山から流れ出た水がどこへ向かい、どの川に合流し、どの海へ辿り着くのか。

そんな話を聞いているうちに、私は官山という山に興味を持つようになった。

「官山の近くにも飛べる場所はあるの?」

そんな会話から、その夜の山歩きが始まった。



官山には小さな沢が流れている。

その沢を境に、片側には原生林、もう片側には人工林が広がっていた。

僕たちは原生林側から入り、山を半時計回りに登りながら歩いた。

そして下山の途中、人工林へ向かう東屋の近くで、その木に出会った。



それがハナガガシだった。


夜の森の中では、杉や檜と見分けがつかないほど真っ直ぐ天へ伸びていた。

けれど、なぜか目が離せなかった。

言葉では説明できない神々しさがあった。

僕はその木に強く惹かれた。



後で調べてみると、さらに驚いた。

かつて天草にはハナガガシが数多く生育していたという。

しかし現在、確認されている成木はほとんど残っていない。

官山のその一本は、最後の生き残りとも言える存在だった。



江戸時代、この山は幕府の天領地だった。

農民は立ち入ることを禁じられ、伐採も厳しく管理されていた。

その理由の一つがハナガガシだったと言われている。

切り出された材は遠く船で大坂や江戸へ運ばれ、槍の柄として使われていたらしい。

なぜそこまで重宝されたのか。

今となっては分からない。

だが、それほど価値のある木だったことだけは確かだった。



調べれば調べるほど、この木は単なる一本の木ではないことが分かってきた。

ハナガガシは豊かな腐葉土と微生物に支えられた森で育つ。

湿度があり、空気を含んだ柔らかな土壌があり、落ちたドングリがゆっくり深く根を張れる環境が必要だった。

つまり、ハナガガシが生きているということは、森そのものが健康であるという証でもあった。



そして気付いた。

もしハナガガシが消えるなら、それだけでは終わらない。

同じように希少種として官山に佇むチャンチンモドキも。

地衣類も。

苔も。

寄生植物も。

その森に暮らす無数の生き物たちも。

一緒に失われていく。



さらにその森は山だけの話ではなかった。

森は水を蓄え、土砂崩れを防ぎ、小川へミネラルを送り出す。

その水は川を流れ、海へ届く。

森が育てた水は、海の生き物たちを育てる。

山と海は繋がっていた。



気付けば僕は毎年、ハナガガシのドングリを探し歩くようになっていた。

一本の木との出会いから始まった小さな旅だった。

けれど今振り返ると、

THE ARK OF TREESの旅は、

あの夜、官山でハナガガシと出会った瞬間から始まっていたのかもしれない。

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